高代寺参道コースは,その頂上近くに古刹・高代寺を擁する高代寺山南麓の里山コースです。 高代寺山は標高488m,大阪府北部の豊能町の北西,東に妙見山を見る処に位置します。 参道ルートは妙見口駅から標高差290mを登り詰めた高代寺までの約1.4Kmのコースです。 
当参道は四季折々の自然の美しさや,江戸時代に造られた石仏が多く残り史跡も楽しむことが出来る自然観察コースです。
 能勢電・妙見口駅から分岐点2に近づく路傍には慎ましやかに地蔵2体の収まった小さな祠(1)が見られ,さらに進むと,
昔懐かしい鉄製の火の見櫓(2),温もりのある土壁を持つ農家の倉庫(3)が見られます。 分岐点3まで登ると東の視界が
開け妙見山の稜線(4)を見ることが出来ます。
分岐点4に近づく辺りの沿道と林の中に小さな祠(5,6)が見られ,登ってきた方角を振り返ると眼に優しく棚田(7)が映ります。 道は段々狭くなっていきますがまだ里道が続きます(8)。 旧山下道への分岐標識の下には苔生した江戸時代の道標(9)があり,よく見ると「右高代寺」と彫られた文字を読み取ることが出来ます。
 旧山下道の分岐を過ぎると2つの溜池(10)が連続して現れ,水位の低い時期には池の中に木製の棚田灌漑用装置を見ることが出来ます。 この辺りから道はさらに細くなり山道になってきます(11)。  この辺り一帯の林の中には色々の造形が楽しめる大きな台場クヌギ(13,14)を沢山見ることが出来ます。反対側の林の中には天井が落ちた炭窯の跡もあり,一昔前までは池田炭として重宝された炭作りの里であったことが偲ばれます。 また参道沿いには高代寺まで続く12基の町石(12)があります。 これは1650年(江戸時代)頃に石英閃緑岩で造られた舟形仕上げの石像で,よく見ると薬師如来を示す梵字「バイ」(12左上)が刻まれています(現地案内板)。 高代寺の本尊は薬師如来であり,篤い信仰心に基づくのと,1町は約109mなので12町では約1.3Kmとなり,能勢口駅近くから高代寺までの距離に符合します。 石英閃緑岩という石は石英閃緑岩質のマグマが地中で固まるとき,周りの地層や岩石と接して出来たもので,斜長石・石英・輝石・磁鉄鉱などの鉱物や緑泥石から構成されています。 なお高代寺山は約8000万年前の恐竜時代(白亜紀後期)に噴出した花崗岩で出来ており,石英閃緑岩はその脈岩として当地で産した石と思われます。
さらに山道を進むと少し開けた墓地跡に出ますが,その少し手前に石仏(15)や町石(16)があります。 江戸時代に一般的だった土葬がここの墓地でも行われていたそうで,ここには当時彫られた六地蔵(17)や多くの石仏(18)が冥福を祈っているかのように静かに佇んでいます。  
ここではツバキの大木が群生(19)し,春先は参道が落花した花弁で赤い絨毯になり,秋にはモミジの大木(20)が深紅に染まります。眺望も開け,前方には五月山の稜線や常盤台の街並み(21)が,また右手の林には散在するサクラ(22),ネムノキ,モミジなどの木々が四季折々の彩りを楽しませてくれます。
 墓地跡を過ぎると参道は小石ゴロゴロの狭い野趣に富んだ道(23)になります。 この辺りでまた町石(24)を見かけます。12基目は高代寺本堂への石段にあるらしいので,全部でいくつ見つけられるか探しながら登っていくのも楽しいと思います。 さらに登っていくとサクラの大木(25)が目立つようになります。ウワミズザクラ,カスミザクラ,エドヒガン,ヤマザクラなど種類も豊富です。 ウワミズザクラの古木の前に妙見里山倶楽部の実習地(26)があります。 この倶楽部は大阪自然環境保全協会に属し,地域の人達と協力して高代寺参道周辺の自然環境の保全を通じて地域の活性化活動をしているボランティア団体で,当地で活動を初めて7年になります。 当基地から高代寺にかけて覆っていたマダケ林(27)を間伐しサクラやモミジの古木の蘇生や豊能町北西部地域の生物調査,間伐をした竹を使った竹炭づくり,放置棚田の整備などの活動をしています。








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